まず最初に、昨夜は片町からの帰りが午前零時頃のなってしまい、お客様と遊んだ様子をアップ出来ませんでした。
天気が荒れた日本海、お客様と5人で過ごした片町でのひと時は、着物が3人でした。
私も着物を着ていったのですが、昨日のような天気はブーツがいいのかも・・・・・
とのかく足元が寒かったです。
昨日の話はここまで。
今日は、江戸小紋のことにういて書いてみます。
手元にある雑誌の切抜きや、資料を基にまとめてみました。
江戸小紋は、遠くから見ると、何の変哲も無い無地染めの着物のように見えますが、近くに寄って見ると、びっくりするような細かい文様で埋めつくされています。
その魅力は、合わせる帯で着物の表情が変わることです。
例えば江戸小紋の文様の一つに鮫 (さめ) 小紋という着物柄がありますが、それに、染め帯などを合わせると優しいカジュアルの着姿に。
格調の高い着こなしにしたいときは、帯を変えて金銀糸や刺しゅうの帯を締めると略礼装にもなります。
(格調の高い着こなしとして、一つ紋を入れ、お茶席の着物としてご利用せれる方が多いようです。)
つまり、色無地と小紋を兼ね備えた、幅広いTPOに対応できる着物なんですね。
・ 「江戸小紋はいつ頃からあったの」
小紋は、小紋型染めと呼ばれたことに由来します。
大紋は武豪の家紋を染め出すもので、武士の広袖の衣装に家紋を染めて 「大紋の衣裳」 といいました。
この大紋の衣裳が裃 (かみしも) に変化してゆくにつれて、裃に小紋模様が入ってゆき、武士の礼装となりました。
そして大名家はそれぞれ決まった小紋柄を、 「定め小紋」 として独占したそうです。
江戸時代には各藩の大名が さかんに裃の柄を競い合ったため、より細かいもの、より高度なものが要求され、これが現在の江戸小紋の始まりです。
その大名家の 「定め小紋」 を幾つか紹介してみます。
徳川将軍家・・・・・御召十 (おめしじゅう)
紀州家・・・・・極鮫 (ごくさめ)
適当な写真が見当たらず柄のコピーになりました。
加賀ー前田家・・・・・菊菱 (きくびし)
前田家の家紋は梅鉢で有名ですが、裃の小紋柄は菊菱と伝えられます。
肥前ー鍋島家・・・・・胡麻 (ごま)
肥後ー細川家・・・・・梅鉢 (うめばち)
細川家は九曜の家紋で知られますが、裃の柄は梅鉢紋といわれます。
島津家・・・・・大小霰 (だいしょうあられ)
当時、一般庶民は恐れ入ってこうした柄は使えませんでした。
江戸中期になり、庶民が経済力を持つようになると、小紋柄は庶民の着物にまで広がり、万を越す小紋柄が生まれました。
例えば、大根と下ろし金・魚に包丁・ハサミ・扇・カルタ・矢羽根・宝づくし・雪月花・家内安全という模様までありました。
これらは外国の影響を一切受けていない、日本独得の芸術品なんですよ。
こうして江戸時代の小紋型染め技法が代々伝えられてきましたが、昭和30年に小紋型染めの重要無形文化財に故小宮康助 (こみやこうすけ)氏が指定された際に、江戸時代に発達した代表的な型染めを 「江戸小紋」 と名づけるようになったそうです。
江戸小紋として親しまれるようになってから、まだ歴史が浅い事が お解かり頂けたと思います。
-資料の多くは東京竺仙さんのを使わせて頂きましたー
随分江戸小紋の説明が長くなりましたが、裃に使った幾何学模様の柄、誰が考えたのかな~
この江戸小紋の模様が、今でもいろんな商品に使われている事を考えると勲章物です。
今も昔も変わらない日本文化の奥深さを感じます。
最近ではこの江戸小紋の着物が、手染と機械で染めたものとがあります。
手で染めた着物は色柄に強弱があるように見え、機械で染めた物は綺麗に染め上がっています。
お値段も随分違いますので、吟味して選んで下さいね。
最後に江戸小紋の三役と呼ばれる柄は、鮫 (さめ) ・角通し (かくとおし) ・行儀 (きょうぎ) ですが、私は細かい縞模様になっている万筋 (まんすじ) の柄が好きですね~
奥ゆかしさと上品さのある江戸小紋、やはり手染めの品には味がありますね~
「江戸小紋」誰が考えたのかな~
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