明日から古布を使った「木目込み雛人形展」が始まります・そして母を忍んで・・・

 降り積もった雪で生活のリズムを失われていましたが、峠も越えたみたいで落ち着き始めた感じが致します。
私の場合は母のことで雪の騒ぎどころではなくて、慌ただしい3日間でした。
疲れもピークに達していたのか、朝寝坊してしまいましたが、店に立てば仕事のエスカレーターに乗せられたかのように、それまで止めっていた仕事が徐々に動き始めます。
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そんな私に課せられた仕事は、木目込み雛人形展の会場準備です。
開店と同時に売り場を整え、古布の木目込み雛人形を23組、古布の押絵屏風を9点、売り場に開放しディスプレーを終えることができました。
 

これで明日からの本番を迎えることができます。
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会期は明日から一週間。
すべて古い着物地から創作された雛人形で、同じ品を準備することが出来ないのが大きな特徴です。
雛人形展となると新年が明けた1・2月に企画せれることが多く、12月の発表となると早い感じをお持ちかと思いますが、県外のお店が取り上げる前に、この地域の方に披露したいと考えて取り組んだ経緯があります。
段飾りに雛人形とは趣きが違いますが、小さくても深い味わいがあって心に響く木目込み人形です。
是非覗いてみてください。
ところで、母が体を悪くしてからというものは、思い通りにならないもどかしさから苦しい胸の内を語る日々でした。
なんとかしてあげてくても、医療に頼るしかないところがあり、心のすき間を埋めることができなかったことを申し訳なく思っていました。
近くにいた弟は辛かったと思います。
母のことを思い返すと、頭に浮かぶのは私が小さかった頃のことばかりで、デパートの屋上にあった遊園地に連れて行ってくれたことや、小学校の遠足のおやつに必ずバナナが一本まるごと入っていたことなど、普段と違う生活の中に母がいたことです。
そうそう、クリスマスには長靴に入ったお菓子を買ってきてくれることを楽しみにしていたし、クリスマスケーキも付いてきたときなどは大喜びしたことを覚えています。
豊かな社会の中で育った人には、当時の私の喜びを想像することができないでしょうが、今にして思えばとても貧乏な暮らしをしていたような気がします。
だけど幸せでした。
家の手伝いも毎日のようにさせられて嫌でしかたありませんでしたが、そのことが甘えない大人へと導いてくれたのかもしれません。
18歳で育った家を離れ、自分で道を切り拓くこととなりましたが、道を間違えないでいられたのも口うるさい母がいたからだと思います。
育てられた恩を返さなくてはならなかったのに、何もしてあがれなかったことに心が痛みます。
「ゴメンな! かあちゃん・・・」
きっと僕も今の子どもたちと同じ関係を繰り返すのでしょう。
そして、子どもたちが幸せならばそれで充分だと思える年になりました。
この先も、子ども達に迷惑をかけないで生きた行きたいと思っているので、遠くから私たち家族を見守っていてください。
きっと、薫(妻)が僕に変わって、かあちゃんの良き話し相手になってくれているのではないかと思っています。
どうか、薫と親父も交え仲良くいてください。
      ー 合掌 -
師走の立ち上がりからいろいろありましたが、ここでもう一度リセットして年末商戦に臨みたいと思います。
それではこれにて・・・
お休みなさい。

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