何も起きないということは、実に退屈で気力も失いがちになるものです。
毎日、心を太陽に向けることはとても難しいことですが、考えてみたら幸せな一日といえるのでしょう。
しかしニュースはまったく違う世界を映し出しています。
今回の水害を他人事のように見ていますが、逆の立場だったら生きる力を失うに違いありません。
これまで私は多くの人に助けられて今日までこれました。
そのことをとても感謝しておりますが、それは、心で思うだけの上辺だけのもので、何か行動に移せたかと問いかけたら必ずしもそうでなかったかもしれません。
言葉を変えるなら、温かな心を踏み台にして生きてきたとも言えるのかもしれません。
そして身を潜めながら生活を守り、今以上に豊かさ追い求めているのが豊かさを手にした私なのかも・・・
その気持ちがあるから頑張るのかもしれないが、そこには、豊かな未来が保証されていないという不安があるからでしょう。
着物を欲しがらない社会になっているだけに、その不安は常に付いて廻るものです。
そんな時に見せつけられるのが自然災害です。
一瞬にして幸せを壊してしまう地震であったり先日の豪雨で被害に遭った生々しい現実です。
被害に遭わせた人の心労は、私が持つ不安とは比較にならないもので、未来が閉ざされたと言えるのではないでしょうか?
誰もが誠実に生きているのに、どうしてこうなるのかと思ってしまいます。
これまで私は商売という経済の中で身を立ててきました。
浮き沈みの激しい世界で、力と知恵を持つものは発展を遂げ、運もありますが、弱いものは社会から消えていくという戦場みたいなものです。
そんな世界を嫌というほど見てきただけに、災害に合わせた方を経済と同じ目線で見ることができません。
愛する人を失った人もいれば、家を失った人もいることを知ると、その痛み計り知れないものがあるのではないでしょうか。
ニュースを見ていて、いろんなことを考えさせられています。
少し離れた土地に明日をどう生きようと途方に暮れている人がいる。
小さな子供もいれば赤ちゃんもいる。
自分に何ができるのだろう~
感謝って、どういう意味を持つのだろう~
毎日小さなことで悩んでいるが、いったい幸せって何なんだろう~
確か或る人の言葉に、「幸せになりたかったら人を幸せにすることだ!」
その言葉が頭を過ります。
いろんなことが、私の人生の価値観の中に投げ込まれていて、小さな人間であることに気づかされています。
何の足しにもならないかもしれませんが、店で募金箱を用意してみました。
人が織りなす社会が痛みを分かち合える社会であることを願いたいです。
もう一人の自分が私に問いかけるものがあり、このような記事になってしまいました。
気分を変えて、素敵な絽の附下をコーディネートしてみたのでご覧ください。
時間がなくなってしまって、単なる画像だけになってしまったことをお許し下さい。
それではこれにて・・・
お休みなさい。