我が家の草刈りに日をゴールデンウイーク中に予定でいたのですが、予定していた日に雨が降り出して中断。
結局今日になってしまいました。
予報で今日(24日)が晴れることが分かっていたために数日前から心の準備をしていたのですが、毎朝庭の草を見ると憂うつになります。
この画像が草むしりを始める前のものですが、庭の草が伸びきっていて、場所によってはこれ以上長い草が生えている個所もあって、これを一人で狩るとなるとすごく時間がかかります。
誰も手伝ってくれる者はいないし、そのままにしておいたらみっともないし、一人で狩るしかない!
そんな心の格闘があり、午前9時10分に庭の草の前に立って草刈りを始まました。
私の草刈りはカマで草を切るというのではなくて、草を握りそして引っ張って根っこから抜くというやり方です。
なので体力と時間を要します。
抜いた草がゴミ袋にいっぱいになると、立ち上がり周りを見渡して、「まだこんなにもあるんだ~」
往生際が悪いといいますが、雨でも降って再び延期にならないかと思ったりもしていて、続けたくない気持ちがプンプン。
それでも再びかがみ込むと、目の前にある草を一つ一つ処理をして行って、新たなごみ袋に草を詰めていく。
ひたすらその繰り返し。
途中から腰が極端に重くなり、太もももバネを失い始めていて、「こうダメ・・・」なんて弱音を吐いたりもしながら草からを終えたのは午後4時10分。
8袋のゴミが出ました。
ゴールデンウイークに2袋の草ゴミを出したので合わせると10袋。
草むしりに要した時間は6時間半。(30分は昼食時間)
腰などに筋肉痛が起きていて、草刈り後は何もしたくない心境でいるところです。
できればこのまま眠りに付きたいところですが、ブログ投稿などもありまして残されたエネルギーを振り絞っています。
草刈りをしながらこの状況はコロナ騒動とある部分似たところがあるのではないだろうかか?
私は草刈りを始める前に伸びきった草の量を見て心が折れそうになりました。
誰も助けてくれない。このまま放置してもいいが、そのツケは自分に回ってくる。
だから気持ちを奮い立たせて、目の前の草を一つ一つ取って行ったら、最後は憂うつに思っていたころが全てなくなったのです。
新型コロナ感染症という見えない敵は仕事の在り方を根底から変えるものになっていて、一か月後はどうなっているんだろか?
その先の秋も恐怖に怯えていいるのだろうか?
コロナと共存する社会を想像すると不安しかありません。
こんな感じで全体像を視てしまいますが、だからといって仕事を投げ出すようなことはできません。
今できることを一つ一つこなしていくことしかないのです。
その一つ一つを続けて行くことが、区切りとなるゴールへと導かれていくわけで、コロナ騒動に打ち勝つ経営に繋がるのではないだろうか?
だから地味な仕事であっても諦めないでゴールが待っていることを忘れてはならいのです。
このことが生きるということで、経営を続けること「コツ」なのかもしれません。
極論かもしれませんが、そんなことを呟きながら草刈りにパワーを送り込んでいた私でした。
今日はとっても疲れました。
でも気持ちのいい疲れ方でした。
ではこれにて・・・
お休みなさい。