この三連休は来店客が少なくてね~
夏まつりや花火大会が近づいているというムードが伺えないことに寂しさを覚えます。
昔はそれどれのお店が浴衣や夏着物の情報を出すことで、市場を掻き回し、それがお客様の着物への関心度も高めて行くものに繋がりましたが、地域に同業者がいなくなると競争心が薄らいでしまって、残された店にお客様が集まると思っていたら、その逆で、年々きもの市場が小さくなって行くことに気づかされています。
バブル経済が弾けてからというもの、考えさせられることが少なくなく、中でも最も変化したと思えることは、ネットを有効に生かした販売方法だったかもしれません。
その販売方法が認知されるようになってからというこの、「ネットでは着物は売れない!」と考えていた人が大半で、売れるとしたら販売価格がハッキリしている品が激安であることだと、ブライダル産業の中で胡座をかいでいた地域の呉服店は偏った考え方でネット販売を見ていてところがありました。
私はその変化を真摯に受け止めていて、20年近く前からインターネットに肝心を持ち始めたことが、この店を変える切っ掛けとなり始めました。
地域の商工会の方が「ブログ」を勧めてくれ、それまでパソコンが使えなかった私がブログをやってみようと思ったことが大きな転換期だったかもしれません。
最初は文章を打ち込みだけでとんでもなく時間がかかっていて、黙々と投稿を続けていましたが、まったく手応えがなくて、2年近く過ぎた頃のことです。
ブログ見てくれていた県外の方から和雑貨の注文が入ってきましてね~
たかが2千円余るの金額のことでしたが、その時は天にも昇るような喜びがあって、天下を取った気持になったことを覚えています。
奇しくも妻が病魔に襲われていることが分かったときでもあって、適切な言葉ではないかもしれないが「天国」と「地獄」が同時に訪れた時でもあったのです。
その間、いろいろありましたが、開いた扉がこの店を変えていったことは確かで、続けたことで、今ではネットを通して県外から週に何件も注文をいただけるまでになり、いつしか、日本のきもの専門店を目指したいという意欲を持てるまでになって行ったのです。
あの時にブログを始めていなかったら、県外からの注文が入ってこなかったなら、開いた扉を投げ出していたなら。
その時々で幾つもの分岐点がありましたが、諦めずに続けていたことがこの店の存在価値を高めていったのかもしれません。
このままでいていいとは“これっぽっち”も思っていなくて、新たな挑戦が必用だと思っていますが、この業界がコロナ禍以降弱体化していて、舵取りがとても難しくなっています。
地元で染められている加賀友禅も年々生産が少なくなっていって、フォーマルの着物だけに頼っていては、作家さんに仕事が廻ってこないということが考えられます。
カジュアル系に着物であったり、染帯にも力を傾けていただけたら新しい世界が見えてくるように思えるのですが・・・。
皆さんはどう思われますか?
小さな店でも特徴ある店が創れるのは、商品の魅力が大きく左右すると思っていて、秋冬物として新しい商品を世に出していただけたら嬉しく思います。
まとまりのない記事になっていますが、今年11月に東京で展示会を開くことを決めました。
予定では11月22日(金)・23日(土/祝)の二日間、日本橋で開催させていただきます。
それでは今日はこれにて・・・
お休みなさい。