振袖の見立てを依頼されて届いたお写真と手紙から呉服店の仕事を考えてみました

 日本の民族衣装である着物が生活様式の変化と共に着物を着なくなり、今では「着る機会がないから、着物なんかいらない!」とか、「必要な時にレンタルすれば事が済む・・・」とか、さまざまな理由を付けて着物から離れる人が少なくありません。
着物に対する愛着が薄らいでいるとしか言いようがありませんが、そこには、いろんな背景があって、着物を拒むのだと思います。
辛い現実がありますが、それだけに呉服店さんの姿勢が問われていると言えるでしょう。
着物離れが進めば呉服店の死活問題となるだけに、消費を誘う販売方法を次から次へと繰り出し、生活者に近づいていますが、必ずしも着物ファンを増やす関係にまで至っていなのが現実です。
ある県外のお客様から、メールでこんなお便りをいただいたことがあります。

昔は呉服屋さんのウインドーを見て「いつか、こんな着物を着てみたいな~」と、着物に憧れを持ったものですが、最近は価格訴求のセット商品が並んでいてガッカリしています。
たまに呉服店さんを覗けば、「こちらの商品が特別価格になっていて、〇〇のサービスも付きお得かと思います」とか言われて、憧れていた着物を探しても、そんな商品は何処にもなくて相談もできなかったと、呟いていたことを記憶しています。
何を言いたいかと申しますと、着物に憧れを抱いている方や、着物を家族の絆として捉えている方にとっては、着物に深い思い入れを持っているのではないでしょうか?
そして、その心を共有できる呉服店を探しているのではないかと思うところがあります。
以前、東日本大震災でお住まいが津波に流された方から振袖の見立てを依頼されたことがありました。
それも被害にあって数か月後のことで、面識が無い方だったもので、その驚きは半端ではありませんでした。
すべてが流させた状況の中で、それも遠く離れた私の店にご相談をいただけたことを、とても光栄に感じましたが、そのお母さんから、娘さんに振袖を着せることを夢見ていたことを打ち明けられましてね~
これまでにいろんな方の見立てをしてきましたが、振袖に、こんなにも深い思い入れを持ったお母さんに出会ったのは初めてのことで、責任に重さに押しつぶされそうになったことを鮮明に覚えております。
その方とは東京の展示会でお見立てをさせていただくこととなり、後日、仕立て上がった振袖を仮設住宅に送らせていただきましたが、その体験は、私の仕事が何であるかを教えていただいた切っ掛けともなった出来事でした。
随分前置が長くなりましたが、再び、お嬢様の振袖に深い思い入れを持ったお母様から振袖の見立てを依頼せれましてね~
今度は九州の方からです。
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その経緯については、9月10日のブログ記事撫松庵の街着コーディネート・そして熱いものが流れた振袖の見立て相談に書かさせいただきましたが、今日、お見立てをさせていただくご本人のお写真とお母さんのお手紙が届きましてね~
看護学校に通う次女さんであることや、ここ3年でお母様のご両親やお父様を亡くされたこと、そして娘さんに対する母親の想いが綴られていて胸を熱くさせられています。
まぎれもなく、こちら様のご家庭は命を授かった子どもの成長を祝うための着物で、それを私に委ねられたかと思うと光栄に思うところがありますが、振袖コーディネート画像でのお見立てになるだけに、責任の重さは計り知れないものがあります。
これも何かのご縁です。
親子の絆を繋ぐためにもベストを尽くしてみたいと考えています。
着物には、着る人の人生の背景があって、それを受け取る仕事に幸せを感じるところがあります。
これが着物の世界だとしたら、私たち業界人は何をすべきなのかがクリアーに見えてきて、生活者に頼りにしていただけるのではないでしょうか?
着物の輪が広がる鍵が、ここにあるのかもしれませんね。
長い記事になりましたが、これにて終わりに致します。
では、お休みなさい。