母親の生涯と新しい命を宿した娘たちの間に立って考えることとは・・・

 空青く風もなく、降り注ぐ太陽の光に喜びが満ち溢れた一日でした。
寒い冬が終わったかのような陽気に、心を豊かにすることができましたが、今日は母の四十九日の法要の日です。
再び実家に集まり、いい骨休みとなりました。
こんな日は緊張の糸が切れてブログ記事のネタが湧き上がらなくて困ります。
そこで今日は、娘たちのお腹に新しい命が宿っているいることから、そのことを書いてみようかと思います。
出産予定日は次女が4月で長女が6月。
元気な赤ちゃんが生まれれば同級生となるわけですが、お腹が大きくなった姿を見るたびに、母親がいたなら娘たちにとってどれだけ心強いことかと、つい考えてしまいます。
だって男には分からない世界で、細かな心遣いができないんですね~

産後の時だって、我が家に戻ってきても何の手伝いもしてやれないし、そればかりか娘に余計な負担をかけてしまいます。
となれば、嫁ぎ先のお母さんの力を借りなくてはなりません。
しょうがないことですが、親としては心苦しいところがあります。
そんなことを考えると母親の存在は偉大です。
私の人生を振り返れば、亡き母にどれだけ多くの力を借りて来たことでしょう・・・
口うるさい母でしたが、商売をしていることもあって、誰よりも私のことを気にかけてくれていたことを感謝しています。
その意味では、親を踏み台にして生きてきたことに気づかされていますが、今度は私が子供たちの踏み台とならなくてはなりません。
自分の生活を守りながらも、家族の生活も守るのが親であるならば、今の私に何ができるのでしょう・・・
初めて子供が生まれた時の、妻と私と両親の関係を思い出さずにはいられません。
亡き母の足跡からもらった愛情を懐かしむと共に、私たち兄弟と孫のために生きてきた母親の人生に幸せがあったことを感じます。
どうかひ孫の誕生を見守っていてください。
それでは今日はこれにて・・・
お休みなさい。

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