本場結城紬の工程を其の一として「糸作り」から記事を書いてみることにしました

本場結城紬 着物/きもの

10月20日頃からこの店で「本場結城紬」とお手ごろ感のある「いしげ結城紬」を紹介してみたいと思っていて、数日前から結城紬のことについて勉強しているのですが、着物ファンに結城紬の魅力を知っていただくためにも、知識を得たことを伝えなくてはならないと思っています。

 

上手く書けるか自信がありませんが、今日は其の一として「結城紬のルーツ」と真綿(まわた)から紡ぐ「糸づくり」について書かせていただきます。

 

活字が多くなると思いますが、最後までお付き合いください。

 

 

本場結城紬

本場結城紬

着物は大きく「染め」と「織り」の二つに分類されています。

染が白生地に絵を描いた「染め」に対して、結城紬は糸を染めてから織った「織り」に分類する着物になります。

昔から織の着物は街着や仕事着として愛用されてきましたが、着物に使われる絹糸は、蚕(かいこ)のマユから作られます。

マユから直接引き出した糸を「生糸(きいと)」、マユを真綿にしてから糸を引き出したものを真綿がけと区別していて、結城紬は真綿がけの糸から作られます。

 

昔は日常のための着物でしたが、だんだん名声が高くなり、ついには昭和31年に「重要無形文化財」、昭和52年には「伝統的工芸品」へ指定されたことにより、現在では大変に高価な着物となりました。

結城紬の工程の中でも、

・手による糸紡ぎ(いとつむぎ)
・絣括り(かすりくくり )
・もっとも古い形の手織り機である地機(じばた)での機織(はたおり)

その三つの工程を経て作られたものが、国の「重要無形文化財」に指定されています。

 

その歴史は、美濃の国(現在の岐阜県)から多屋命(おおやのみこと)という人が茨城県(いばらきけん)に移り住み、「あしぎぬ」(太い生糸で織った絹のあら布)という織物を始めまが、結城地方に伝わり、現在の結城紬になりました。

結城地方は鬼怒川(きぬがわ)により農業で開けていて、土地の条件が桑にも適していたので、桑の葉が蚕(かいこ)の餌になる養蚕(ようさん)が盛んだったようです。

 

室町時代(むろまちじだい)には「常陸紬(ひたちつむぎ)」と呼ばれていて幕府にも献上されていました。

江戸時代には幕府の代官・伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)が結城紬の振興、改良に務め、「結城縞紬(ゆうきしまつむぎ)」として全国に有名になりました。

その後、それまでの男物、年配者向けの着物から女性物の着物に変化したそうです。

その後も、産地の人々の努力で、亀甲(きっこう)模様の細工絣(さいくかすり)など高品質を保ち、現在でも日本最古の製法が守られながら生産が続けられています。

 

絹の糸は、蚕(かいこ)という虫の繭から作られます。

染めの着物には、繭から直接引き出した「生糸(きいと)」を使いますが、紬の場合は真綿から糸を作ります。

その真綿を作るための前処理である「煮繭」(しゃけん)という作業から糸づくりが始まります。

 

この作業は、繭(まゆ)を重曹で煮て柔らかくする作業で、セリシンという膠質(にかわしつ)の物質を取り除く目的もあります。

繭を煮ると独特の臭みがあり、慣れるまでは食事もできなくなることもあるそうです。

 

最初に繭と繭がからみ合わないように袋に入れてひとまとめにし、 繭をやわらかくするために、重曹(じゅうそう)をお湯に入れてから、最初は浮いてこないように棒で押さえ、繭が液になじんでから、1~2時間くらい煮ます。

煮あがったらお湯から取り出し、よごれた液が出なくなるまで水でよく洗って、洗濯機で脱水します。

 

その作業を終えてから、糸づくりの「真綿かけ」の工程になり、煮た繭(まゆ)を、ぬるま湯の中で袋状に広げる作業です。

蚕(かいこ)は繭を作る時に、8の字になるように糸を吐き出します。

先端は、蛾(が)になったときに出やすいように薄くなっているので、 その薄い部分から指で広げ開いていきます。

繭の中にさなぎとやかいこの時の抜殻(ぬけがら)が入っているので、それも取り除き内側をウラに返し、左指に5個~6個重ねます。

その処理を終えてから、重ね合わせた繭を水中で伸ばしていきます。

その幅は20㎝くらいでしょうか?

 

この作業は必ず水中でおこなうもので、 水中から出すと、繭はまったく伸びないそうです。

大きな袋状にした繭5枚を重ね1組とし、 何組かできあがったら脱水します。

この下準備が整ってから初めて糸紡ぎ(いとつむぎ)の工程が始まるんですね~

 

 

真綿50枚分の糸を「1ボッチ」という単位で数えますが、次に、乾燥した真綿(まわた)を引き伸ばし、一辺を「つくし」という道具にひっかけます。

その端から糸をつむぎだし、ツバ(唾液)をつけながらよっていきます。

 

この作業が「重要無形文化財」に指定される三つの工程の中の一つで、いしげ結城紬の場合は、合理化を図った動力で紡がれているものだと解釈しております。

 

 

真綿糸

真綿糸

紡ぐ手の下にはオボケという桶(おけ)ようなものに紡いだ糸がためられますが、左指で糸を引き出し、右指でつばをつけながら糸にしていきます 。

 

伸ばす長さによって太さがかわりますが、ここに職人の技が潜んでいつのではないかと思っていて、紡ぎ手は若い人のツバよりの熟年層のツバが良いと聞いております。

この時点では、よれよれの真綿糸でしかなく、これを糸車にかけて織り糸にまで仕上げなくてはなりません。

車輪のようなものを使って糸を巻き取る「管巻き(くだまき)」と、その後の「綛揚げ(かせあげ)」という作業を終えて初めて結城紬になる糸が整うんですね~

真綿からの糸づくりだけでも気の遠くなる地味な作業で、結城紬のメーカーである奥順さん担当者は、糸を紡ぐ人が少なくなっていることや、その仕事をしてみたいと思う人も少ないことも話されていました。

 

工賃を上げれば、それは製品に跳ね返ることになり、苦しい選択があるようですが、結城紬のことを知れば知るほど、下準備がたくさんあることが分かり、奥の深い紬であることを教えられています。

この先の工程については、日を改めて記事にしたいと考えていますが、なんとかまとめることができてホットしています。

 

長い文章で申し訳なく思っていますが、最後まで読んでいただけたとしたら、ほんの少しだけでも結城紬の価値を知っていただけたのではないでしょうか?

それではこれにて・・・

お休みなさい。

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