明るいニュースが乏しい昨今ですが、人々は長引くコロナ禍がら少しずつ立ち上がろうとしていて、秋祭りも各地で執り行なわれるようになり、お祭り用品の注文をいただいたり、結婚式も急激に増えていて、足袋や半衿、かんざしや草履などの和装小物を買い求めにお越しになる方が多くなっています。
コロナ禍で自粛していた頃のことを思うと、その違いを感じ取れるようになり始めていていますが、店作りの柱となる着物に感心が集まり始めているとは言いにくいところがあり、長引くコロナ禍で体力を失っている会社や家業店が少なくないことを感じております。
3年近く続くコロナ禍はビズネスの仕組みを変えてしまったところがあって、お店の価値を生み出そうと努力を重ねてる先と時代の変化を感じながらも同じことを繰り返している先とでは、勢いの差がハッキリしはじめているのではないでしょうか?
特に家業店の呉服店は後継者が育っていなくて、店主が高齢であることもあってここ数年で影を潜めてしまった先が少なくありません。
コロナ禍はその流れを加速する要因になっていて、販売してくれる呉服店が少なくなったからメーカーは商品が作れない。メーカーが生産量を抑えようとするから職人さんや作家さんに仕事が回ってこない。
この悪循環が業界の鮮度を落としていて、国民のきもの離れに拍車をかけているのかもしれません。
かつて私は娘さんがいらっしゃるお母さんの落とし文句として、
「この訪問着は流行に左右されないし、娘さんのご結婚されたときの挨拶回りにも着ていただけますし、入卒や七五三などのハレに日にも着られて、必ずや必要とされる着物です。
それにこの訪問着を描かれた作家さんの価値が上がることを考えたら、いくらかでもお安くなっているこの期間は、またとなお得な時なので、是非ともお手にされてみてください、」
もっと押しの強い言葉で進めていたように思いますが、バブル期崩壊前は、娘に必要な着物だと思っているお母さんが多くいまして、このようなセールストークで販売に繋がったものです。
しかし昨今はお客様の着物への価値観は、着物を着る機会があるから着物を作るという、ハッキリした動機付けあって購入に至るケースが圧倒的に多く、以前のようなトークでは買い物に繋がりにくい時代になっています。
特に趣向品の強い紬などは、着物を普段からお洒落に着こなしたいと思っている方が気に入った商品を探していて、タンスに眠らすものではなくなっています。
ここが昭和の時代とは明らかに違っていて、そのようなニーズに応えられる信頼と安心の基にセンスある店がきもの愛好家の心に留まる店になっているのではないでしょうか?
その意味でも消費者の心に留まる店になりたいし、着物を着ることへの喜びを生み出す店であったとしたら、労を使っただけの意味を持つものだと考えています。
心が折れそうになることや、自信を失うことが忘れた頃に訪れて、その度ごとに歩いてきた足跡を振り返りながら、迷いを取払おうとする自分がいて、自分を自分で励ましているから笑えます。
これが商売というものなんでしょう。
少しずつ人々は前を向いて動き始めていて、訪問着や付下げを着ようとする人達が増え始めることを期待したいものです。
そして「きものふくしまで相談してみよう!」と、選んでいただける店になれるよう惜しみなく労を使って、きものファンに応えられる店になりたいです。
それでは今日はこれにて・・・
お休みなさい。