石川県は着物の産地として「加賀友禅」、「牛首紬」、「能登上部」が全国に知れ渡る土地でありながら、何故か能登上布の工房だけお邪魔したことがなくて、暇を持て余しているのであれば、全国で一件しか能登上布を織っていない山崎麻織物工房へ行ってみようと思い立ちましてね~
午前中に電話を入れると、4代目の社長さんがいらっしゃるとのことだったので足を運んでみることとしました。
【能登半島の海と空】
その工房は石川県の能登半島の入り口に当たる羽咋市にあり、車で1時間以上かかるところですが、のと里山街道から見える海を久し振りに見ることもあってドライブ気分。
店から1時間10分くらいかかったでしょうか、のと里山街道を降りてからはコンビニも飲食店もなく、すれつがう車もほとんどなくて、想像していた以上に田舎でした。
【能登上布の工房を訪ねて】
ある集落の中のその工房があり、その門を叩いたのはお昼の12時頃でだったのですが、社長さんとそのお母さんが快く迎え入れてくださいまして、お二人からいろんなお話を聞かせていただきました。
上布とは上等の麻織物のことで、約2000年前に崇神天皇(すじんてんのう)の皇女が中能登地方で機織りを教えたことが能登上布の起源と伝えられているそうです。
昭和初期の最盛期には織元の数は120軒以上あり、麻織物の県生産量が日本一になったこともあるそうで、創業は1891年(明治24年)に初代・山崎新左衛門さんが創業されたとのことでした。
この話からも 120軒近くあった織元さんが生活様式の変化の中で、山崎さんだけが132年の歴史を刻んできた事って凄いことです。
お母さんは亡くなったご主人が愛用していた絣柄の作衣やお母さんが着こなして色あせた能登上布の洋服を広げながら当時の話をしてくださいましたが、使いこなしても能登上布の風合いが変らないことに驚かされました。
そればかりか、使いこなすほど味が出る能登上布の魅力に引き込まれた次第です。
【能登上布の着物と帯】
お二人のお話を聴いた後に、織り上げた着物や帯を拝見させていただきましたが、どれもクオリティが高く、積極的に取り上げてこなかったことを後悔するところがありました。
身近なところで宝物を探し当てた気持ちになっていて、できれば能登上布を店の強に変えて行けたらと思うと、この先どのような関係性を持てるのかを相談させていただいた次第です。
【能登上布の工房】
そしてご自宅の奥に工房があるとのことで、工房を見学させていただいたのですが、そこで働く人が若くて、このことにも驚きがありました。
その中にお一人に話を聞かせていただいたのですが、なんとその女性は私の店の近くにお住まいの方で、毎日通っていることを聞いて、このことにも驚きがありました。
彼女は何に何度か新聞の折込みチラシを見ることがあって、私の店を知ってくれていたんですね~
【能登上布の帯留め】
その工房の一角に能登上布で作られた帯留めが飾ってあって、この帯留めを店で取り上げてみたいと思うところがありました。
私はこちらの会社に2時間近くいたように思いますが、一度店にも遊ぶに来て欲しいことをお願いして、帰りの途についた次第です。
「思い立ったが吉日」ということわざがありますが、まさにそのことを証明するかのような一日で、山崎さんとお会いできて本当に良かったと思っています。
貴重な時間を私のために使ってくださったことに心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
ということで今日も記事とさせていただきます。
ではこれにて・・・
お休みなさい。