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100歳以上の行方不明者が次々と現れ、今の日本はどうなってしまったのかと考えさせられます。
常識では考えられないこと。
一部の報道によると70人近くいるというから驚きです。
100歳といえば、戦争を体験し厳しい時代を生き抜いてきた方々です。
子育てにも大変ご苦労されたとお察しする訳ですが、人生の最後の最後がこのような結末になろうとは・・・・・
考えただけで寂しく、悲しくなります。
この年のなって妻を亡くし、生活を守る大変さ、加えて子供達に親らしいことをしてあげられない もどかしさ、それら気にかかることをいっぱい背負いながらも「幸せ探し」を続けています。
しかし、年を重ねるにつれ老いが近づき、体も心も若い時のように動かなくなるのが普通の人間ではないでしょうか・・・
中には重い病気に侵され、家族の介護を必要とする家庭もあるでしょう。
その事を私達は知っているだけに、死ぬ時は周りの人に迷惑をかけないで、コロッと死にたいと思うものです。
冗談でそのような話をお客様とすることがありますが、少なくとも家族には生きてきた証を認められ、惜しまれながらこの世を去りたいものです。
それが、行方が判らなくなって数十年、肉親が探すことも無く置き去りにされるなんて、人の命をどう考えているのでしょう~
家族の絆や感謝というものは、ドラマの世界の美学でしかなく、現実は豊かになった社会の中で、幸せの定義や価値観が変ってしまった感じが致します。
考えさせられています。
話しは飛躍するかもしれませんが、幼児虐待、核の問題など、これら全てが人間が起こす負の行動で、何が正しいのか判らないままに「幸せ探し」をしているのではないでしょうか。
与えれれた命は一つしかありません。
失くした命を再生することもできません。
そして、誰もが与えられた命の中で幸せを探していて、人を傷つけることではありません。
幸せとは、
損得勘定で計れるものでなく、
嫌な事を排除して得られるものでもなく、
一人の力で手にすることもできません。
愛情と信頼、更には感謝というものが底辺にないと美しい花は咲くことはなく、
それは苦悩の先に存在していて、安定しているものではありません。
私の経験から、そのように解釈しております。
いずれ私も老いと向き合う時が来るでしょう・・・
その時には素敵な老人になれるよう、心掛けたいものです。
行方不明者のニュースは、これからしばらく続き気がしていますが、これが90歳で区切るとどうなるんだろう・・・
異常とも思える事態に、疑いの目で見ている私です。