着物と日本文化の根幹に「願いや感謝」の心遣いがある・そして「木守柿」の話

♥ 今日は12月号の情報紙作りと言いたいところですが、ネタ探しに時間を取られてしまって悔いが残る一日だったかもしれません。

それでも気ぜわしい日々から少し開放されたこともあり、ゆっくり仕事のことをや考えられるようになりました。

つかのまの休息とでもいうのでしょうか、時間を無駄使いすることもたまにはいいかも・・・

情報紙のネタを探しているときに、天への捧げもの「木守柿(きもりかき)」という文面が目に入ったもので紹介してみたいと思います。

柿は、収穫する時、すべてをとってしまわないで、木の先端の方に少しだけ残しておく習慣があります。

地方によって、残す数が一つだったり、数個だったりするようですが、日本各地に残る風習のようです。

理由も鳥にあげるため、来年の豊作を祈るため、神(自然)に捧げるためなど、さまざまです。

残された柿が、直接、木を守っているわけではないでしょうが、それでも、鮮やかに熟した柿が、葉もまばらな先端で、秋風に吹かれているのを見ると、最後までふんばってその木を守っているように見えます。

鳥への思いやりが、長い目で見れば連鎖で自然を潤すことになるのでしょう。

木守柿を残しながら、人もまた、自然を守ろうとしてきたのですね。

恥かしい話ですが、そのような風習が残っていることを初めて知り、この時期になると柿の木が目に入り、瓦屋根と柿の木の絶妙なコンビネーションに忘れかけている日本の風景を感じさせられますが、どうして柿が残っているのかが不思議でなりませんでした。

これで一つ、疑問に思っていたことが少しだけ解りました。

このようなことからも、先人たちが残した習慣やしきたりのようなものが埋もれていて、何も知らないままに生活を送っていることに危機感のようなものを感じずにはいられません。


店が発行している情報紙「あ・うん」を構成するにあたり日本文化を紐解いていますが、すべてが「願いとか感謝」に行きつくことを考えると、そのことに気づこうともせずに新しい文化を追いかけていることに、日本人の心で視る社会が失われている気がしてなりません。

私自身、褒められる生活を送っているわけではありませんが、着物が生活から離れたいったことにも繋がるところがあるのかもしれませんね。

DSC_0016uinndo-2015nenn11gatu.JPG東京である授賞式にご夫婦で向われるお客様がいらっしゃいます。

その際の装いについてご相談を賜る機会があり、足りないところをコーディネートさせていただいたのですが、厳粛な場だけにその心遣いというものは計り知れないものがあります。

ここに着物がなくてはならないものになっていることを誇りに思っていますが、七五三にしても着物が家族の輪の中にあります。

ある意味で、相手を敬う場には着物に勝るものがないことを物語っているのだと思います。

なのに、着物需要が伸びないのは、先人たちが伝えてきた「願いや感謝」という古来の文化が一人ひとりの心に宿っていないからかもしれませんね。

日本人の心を私たち着物業界に問いかけてみたいものです。

まとまらない記事になりましたが、これで今日を閉じることとします。

それではこれにて・・・

お休みなさい。

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