新聞社から取材を受けたことが記事になって嬉しいものがありました

  昨日の閉店間際のことです。

地元の北陸中日新聞社の記者から電話が入り、「明日の朝刊に取材をさせていただいた記事を載せますので・・・」

それは3か月近く前に、あることで店に寄ってくれた時に、私の店が月に一度発行している「あ・うん」という季節を楽しむ情報紙に興味を持たれみたいで、「もう少しで200号になるが、その節目に何か考えていることがあるのですか?」、と尋ねられましてね~

突然のことだったもので、「何も考えていない!」とお応えしたのですが、200号の発行を機に再び記者が訪ねて来て、始めた切っ掛けや、苦労話などの取材があり、「記事にできればと思っています。その時は、前もって電話を入れますので・・・」と、言ってお帰りになりました。

その取材を受けたのは10日近く前のことで、昨日の電話を受けて朝刊を見てみると大きな紙面を使って記事が出ていましてね~

チョット嬉しい気分になりました。

DSC_0013misenosinnbonnkizi.JPGその記事がこちらです。

何が嬉しいのかと言いますと、新聞の紙面って、ニュース性や、結果を残した功績であったり季節の話題などを記事にするものだと思っていて、17年間続けてきたことの通過点を記事にしていただけるなんて思ってもいませんでした。それに、お客様の記憶から消え去ろうとしている妻を採り上げていただけたことが、何よりも嬉しくてね~

この情報紙は亡き妻の発案で作り始めたもので、「あ・うん」のネーミングもお客様と阿吽の呼吸ができるようになればとのことで付けられたものです。

それが17年前のことです。

以来、産声を上げた情報紙を毎月妻が構成してくれていたのですが、治らぬ病に侵されると続けることができず、102号で途絶えてしまいました。

当時を振り返ると、二人で築き上げてきた店と家庭が逆回転しはじめ、全てを失う恐怖感に襲われたことを思い出します。

妻は病気が判った半年後に届かぬ世界へ行ってしまいました。

何をどう変えても命を取り返すことができない現実を突き付けられましたが、せめて、妻の残した足跡を無駄にしてはならないと思って、途絶えていた「あ・うん」の発行を手書きで構成したのが103号だったのです。

実は、パソコンを使えこなせなくて、苦肉の策で作ったことを鮮明の覚えております。

その後は長女にも手伝ってもらいながら、私が引き継いだのですが、お客様の役立つ情報を探し出すのに苦労させられることも多く、どうにか200号までたどり着くことができました。

こうして過ぎてしなえば、積み上げてきた回数なんて深く考えることもありませんでした。
しかし、誰かが見てくれていたと思うと嬉しいものがあります。

妻も今日の記事を読んで喜んでいることでしょう。
私には単なる通過点に過ぎませんが励みになるものがありました。

そして、続けることへの意味を違った角度から教えられた気が致します。

その事を思うと、北陸中日新聞者の記者には感謝したいです。
ありがとうございました。

話は変わりますが、今日は夜の部の着付け教室の日で賑やかな店内でした。

この前結び着付け教室も妻が始めたことで、妻から着付けを習ったお客様が、妻の意思を引き継いで師範の資格を取って生徒さんのに教えてくださっています。

ここにも妻の足跡が残っていて、絶やしてはならないことの一つになっています。

世の人は結果がすべてだと言われる人もいますが、プロセスに人間形成の場があって、その過程に学びがあるのではないでしょうか?

失敗も大きな財産に変わるもので、大切なことは何があっても諦めないことが生きる価値を高めて行くのでしょう。

毎日が右往左往する日々ですが、私はそのように信じたいです。

それではこれにて・・・
お休みなさい。

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