両親の墓参りをして自分が命をいただいた意味を考えてしまいました

福島家の墓参り 店主のひとりごと

自分の命がどれだけあるのかを常識の範囲で考えたなら、後20年から30年というところではないだろうか。

 

病気を発症したり不慮の事故で生き延びれるはずの命が短くなるかもしれないし、医療の進歩で100歳まで命をいただくことができるかもしれないが、普通に考えて残された時間は子どもたちより短いことは確かです。

 

 

日が昇ると今日と日が始まり、目の前の仕事や用事をこなしながら一日を終え、日が沈むと明日に備えて体を休め、明日の予冷を考えることがあっても、いつか命が尽きることを考えることはありません。

 

お墓参りはその事に気づかされる機会になっていて、ご先祖さんがいたから私は命をいただけたのでしょう。

そのことに感謝しなければなりません。

 

しかしその有難味を少しも解っていなくて、自分の生活を守ることしか考えていない人間の小ささを感じづにはいられません。

 

命は自分が創りだしたものではないし、命をいただけた事は宇宙の奇跡ともいえます。

そのことを考えると、無駄な命を分け与えられたようには思えないんですね~

 

裏を変えれば命をいただいた者の役割があるように思えてなりません。

 

それは人類が生き延びるために必要なものを残すことが求められているのではないでしょうか?

その役割に中に仕事があるとしたら、自分の身を守るだけだなくて人を幸せにするものでなくてはならない気がします。

 

いつか絶えてしまう命。

いつまでも若さを保てない肉体。

 

この世界で生きている人と出会える人はほんの一握りかもしれないが、貴方とで出会えて幸せだったと思っていただける生き方ができたらと思います。

 

その足跡を残すことができたなら命をいただいた意味を持つことができるのでしょう。

 

この年になって生きている意味を考えられるようになりましたが、残された時間を自分だけのものにならないようにしたいです。

 

 

 

 

福島家の墓参り

福島家の墓参り

 

私の両親はこののどかな風景を背にしてご先祖様と共に眠っております。

 

父と母の出会いがあったから私が命をいただくことができて、素敵な人生を送れていることにとても感謝しています。

 

そして今日は妻の両親にも手を合わせることができて、改めて命があることの幸せを感じさせられました。

 

 

こいして一日を終えることができましたが、残されたお盆休みは後二日。

 

お天気が怪しくなって来ていて、明日は雨が降る前に自宅の草むしりを終えることができればと思っています。

体力との勝負になりそうですが頑張ってみます。

 

 

思っていることをほんの少ししか綴ることができませんでしたが、それで今日を閉じることとしました。

では、お休みなさい。

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