北陸の12月らしい寒さに包めれ、車のフロントガラスに雪が積もる朝となりました。
その後は雪が積もることはありませんでしたが、雪を見ると「いよいよ雪の季節が来たか!」と、心が重くなります。
というのは、雪と寒さで避けられない現実と向き合って行くことになり、店作りがとても難しくなるからです。
毎年冬の気候に悩まされますが、それだけにその備えが必用とされます。
今年も残すところ10日余りとなり、初売りから約半年間の店作りの在り方を考えていまして、その要となる4月の卯月展の準備に入ったところです。
気が早いと思われるかもしれませんが、思いついて開催する会ではないために、この時期から階段を登るようにして、目的とする場所まで辿り着くまでの準備が必用かとして考えています。
なので今日は「卯月展」(4月19日~22日)にて特集を考えている、石川県で作られている夏の着物【能登上布】のことについて語らせていただきたいと思います。
【能登上布とは】
上布とは上等な麻織物のことで、国内で上布の名が付く麻織物は、新潟県の「越後上布」沖縄県の「宮古上布」・「八重山上布」が挙げられます。
その中で「越後上布」と「宮古上布」は国の重要無形文化財に指定されていまいますが、生産量も少なく無形文化財の着物となれば数百万というお値段がつくものがあります。
夏の野良着として作られていたと聞いているもので、凄い話だと思いませんか。
その仲間とも言える能登上布は石川県指定文化財にもなっていまして、その歴史は約2000年前に崇神天皇(すじんてんのう)の皇女(こうじょ)が中能登地方で機織りを教えたことが能登上布の起源と伝えられています。
その後、明治時代には皇室の献上品に選ばれるまでになり、昭和初期には織元の数は120件以上になり、麻織物の県生産量が日本一なりましたが、戦後着物離れが進む中で織元も姿を消して行って、滅び行く能登上布を守り続けて来た山崎麻織物工房一軒だけとなっていることに業界に携わる者の一人として責任を感じさせられます。
その山崎麻織物工房の前身は紺屋(染め屋)さんで、初代が明治24年(1891年)に創業し、以後屋号を変え、創業から130年余り織元として技術を継承されてきた先です。
三代目織元から本格的に経緯絣(たてよこがすり)の能登上布をつくり始め、その魅力と技を四代目が引き継がれていますがすが、今では織り子さんが15人近くいらっしゃるそうで、昔から受け継がれてきた手法と手織りから生まれる透け感は「蝉の羽」と例えられ、全国の着物ファンから注目されている夏の街着となるものです。
能登上布は原料である麻は、古くから使われてきた苧麻((ちょま)というイラクサ科の多年草で、カラムシの別名でもありますが、天然繊維の中でも吸湿(汗)・速乾性に優れています。
汗ばんでも肌に密着せず、そのさわやかな清涼感が大きな特長です。
最高級の素材ですが紡績糸使用のため丈夫で自宅でも洗え、洗うほどに風合いが柔らかくなります。
その着心地は、爽やかで軽やかさがあり、上布ならではの“ひんやり”とした感触が失われることなく、何十年も愛用していただける夏きものと言えるでしょう。
これまで石川県で作られている「加賀友禅」や「牛首紬」を幾度も取り上げてまいりましたが、何故か「能登上布」にスポットを当てることはありませんでした。
卯月展では織元の「山崎麻織物工房」のお力をお借りして開催させていただくものです。
情報としてピントがズレているのかも能登上布で夏の装いをコーディネートしてみたのでご覧ください。
【能登上布をコーディネート】
渋い色合の細格子能登上布を同じく能登上布の雨絣縞の八寸帯でコーディネートさせていただいたものです。
着物や帯の風合いを手に取ってご覧いただくことはできませんが、夏場のこのアッサリ感が涼しげかと思っています。
織元の山崎さんでは、着物巾を以前より広く織るようにされてまして、この細格子の能登上布は殿方にも対応できるだけの巾があるものです。
そして来年から少し値上がになることも聞いていりますが、特集させていただく以上は能登上布の歴史と魅力を語ることから始めることが必用かと思って、この真冬に記事とさせていただいた次第です。
興味をお持ちであれば、来年の4月の卯月展に足をお運びいただけたら嬉しく思います。
では今日はこれにて・・・
お休みなさい。