帰りの電車の中では熟睡。京都からあっと言う間に店の戻れましたが、随分疲れが溜まっているようです。
師走の京都は同業者が少なかった感じを受けていて、この秋からの雲行きが怪しくなっていることを心配する様子がうかがえるものでした。
和装業界の流れがどうであれ、店を守らなくてはならないという現実があり、この先の品揃えを考えながら仕入先を訪ね歩いてまいりました。
車中の中で読んだ本に、いらないものを捨てる 「得る」よりも「手放す」ことが先
そんなサブタイトルが付いた項目なあり、その文を呼んでいて、納得できるものだったもので、ここの紹介させていただきたいと思います。
私たちは、物事がうまくいかないとき、「何かが足りない」と思ってしまいがちです。
でも、今の状況を変えたいなら、何かを「得る」よりもまず「手放す」ことが先。
禅的生活の基本は、ここにあります。
執着を捨てる。思い込みを捨てる。持ち物を減らす。
シンプルに生きるとは、心や体の荷物を捨てることでもあります。
涙を流したあとは、なぜか心がスーッとしますぬ。 泣くことで、もやもやした心のつかえがスカッと晴れる。また頑張ろうという気が湧いてくる。
洗心ー「心が流れる」とはこういうことだったのかと実感します。
心の荷物でも、体の荷物でも、身の回りの荷物でも、手放す・捨てるという行為は、なかなか難しいものです。
人との別れが辛いように、ときに痛みをともなうこともあるでしょう。
でも、物事の流れをよくし、軽やかに生きたいのであれば、まずは手放すことから始めてください。
手放した瞬間、新たに入ってくるものは「豊かさ」です。
この本は、「禅、シンプル生活のすすめ」という枡野俊明さんが書かれたものですが、この文を読んで、与えられたものや手にしたものが掌に溢れるほどあっても、人間というものは欲なもので、仕事でつまずいたり、思うように事が進まないと、足りないものを欲しがるものです。
しかし、欲しいと思っているものを手に乗せても、溢れんばかりの掌から砂をこぼすかのように落ちていくのではないでしょうか?
あたかも不満をこぼすかのように・・・
仮に砂を固まるかのように掌に乗せることができても、今度はその砂を落とすまいと身動きができないことにもなりがちです。
先ほどの文は、その事を説いているのではないかと解釈しております。
手にしたものを捨てるにはなかなかできません。
何を捨てて何を残すべきかも簡単に判断できるものでもありません。
しかし、信じれるものが目の前にあるとしたら、それを手にしたいと思うのは人間の心理かと思います。
「得る」よりも「手放す」ことが先か・・・?
考えさせられるものがありますが、問題意識として心の中に落ちる文面でした。
参考にさせていただきたいと思った次第です。
京都駅に戻ると、クリスマスソングの優しいベルを鳴らす音が鳴り響き、その先に目を向けると大きなクリスマスツリーが輝いていました。
それを見て、クリスマスが近いことに気づかされましたが、点滅するイルミネーションとベルの音色から、見る人の願いが放たれているかのようで、疲れた体を癒してくれました。
それは仕事ばかりしている私の心に、優しさを呼び込む つかの間の時間だったのかもしれません。
それではこれにて・・・
お休みなさい。