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いろんなことが過ぎて行った10月、今、私は空っぽになっています。
そして、静かな午後を体で受け止めCDを聞きながらの投稿です。
10月31日という日は我が家にとって忘れることが出来ない、大きな出来事が起こった日です。
あれから2年、私達は強くなったのかもしれませんね。
温かな日曜日、長女は玄関を掃除し親戚が来るのを待ち、息子はネクタイが締められないと騒ぎ、次女は朝風呂で綺麗にしてから化粧を整える。
私はというと、仏壇の前で時計を見ながら 忘れていることはないかと落ち着きません。
こうして妻の三回忌の法要が、穏やかに行われました。
そこには暗い影は何ひとつ無く、違う意味での「幸せの形」が生まれ育っていることに気づかされます。
「これでいいんですよね~・・・おかあさん、どうか子供たちを見守っていてください」
過ぎて行く時間と共に、不自然な我が家を受け入れている私です。
皆で食事を済ませ、雑談が絶えた頃に親戚が帰った午後の時間、茶の間で音楽を聴きながら何も考えない時間を過ごす。
体を休めることができました。
ここでこんなことを言うのも可笑しな話ですが、もしもお母さんとの出会いがなかったら子供たちとの出会いもなかったでしょう。
不思議なご縁の元に生まれた命。
私達は授かった命に感謝をしているのでしょうか・・・
このような機会には考えるようにしていますが、幸せでいると忘れてしまうのが「生きている事の幸せ」なのかもしれませんね。
「与えられた命」か~・・・
人生を自分が創っているなんて、大きな間違いなのかも。
難しい話はやめにしましょう・・・
きままな作文になりましたが、気ぜわしく過ぎた10月を閉じることができました。
そして、全てが終わってホットしています。
明日は京都、11月が始まります。
それでは、素敵な11月になることを願いながら・・・
お休みなさい。