「あ・うん」の3月号が出来上がり、そろそろ4月に開催させていただく卯月の会のチラシ作りに入らなくてはなりません。
この作業が一筋縄ではいかなくて、気持を高めることから始めなくてはなりませんが、今日は朝からお天気がよくて、そのことに伴ってお客様もあったもので、チラシ創りになかなか集中できませんでした。
毎会で手作りで構成しているだけに、この作業を終らせないと次のステージに向うことができません。
なので今日は、ブログ記事に卯月の会のことを書くことで、ピンボケになって見えていたことがらが、言葉に変換するとクリアーに見えてくるところがあるので、卯月の会の核となる永治屋清左衛門との取り組みのあり方を記事とさせていただくこととしました。
卯月の会は4月24日(木)~27日(日)までの4日間の開催となり、品揃えのメインは「永治屋清左衛門」の着物と帯で、他に当店が仕入れた単衣・夏物の着物や帯が入ってくるかと考えてます。
そこで永治屋さんの商品をどのようにプレゼンしたらいいいのか。
永治屋さんの商品は取扱店が限られていて、県内の方はほとんど見かけたことがないだけに、会が始るまでの間に、どれだけ永治屋清左衛門の着物や帯のことについてプレゼンできたのかが鍵になると考えてます。
というのも永治屋さんの着物は振袖も訪問着も小紋や紬も織物で織って色や模様を浮かび上がらせるという特殊な技法で創作された着物で,加賀友禅が一番だと思っている方にとっては、織物の着物の良さを受けいていただきにくいところがあるからです。
【四月の永治屋清左衛門展にて特別展示させていただく十二単(じゅうにひとえ)】

そうした中で、永治屋さんの創業から234年の歴史から培われた技は、美術館や文化庁から貴重な文化財の復元を依頼されることもありまして、まさに画像に映る唐織りの着物はその一つに数えられるものです。
こては平安時代にお召になっていたとされる唐織りの十二単となるもので、徳川美術館所蔵国宝「源氏物語絵巻」四十九帖「宿木(やどりぎ)」で六の君が着用した袿(うちぎ)の十二単の表着となるもので、七代目永治屋清左衛門が2年半の歳月をかけて復元した物です。
模様は【萌葱地亀甲に腹花の丸文様袿】となるもので、地紋の立体感を持たせるために文様部分の横糸を浮かせて織った浮織物を更に別の糸の横糸で上文を織り出した「二倍織物」となる表着だそうです。
やたらに難しい単語が並びますが、永治屋清左衛門が手がけた復元品とはいえ、平安時代の貴族女性の正装着が当店の展示会中に特別展示されます。
それだけではなく、お楽しみ企画も考えていまして、その一つに永治屋さんが織った白で地紋が織り込まれて半衿にお客様のお名前を織り込むという企画を取り上げさせていただきます。
【永治屋さんが戦国時代の小袖柄を地紋が入ったシルク半衿に仕上げる】

4月の永治屋清左衛門展では戦国の世を生きぬた姫君が着用されていた4人の小袖模様を「小袖半衿」として織り上げたシルク半衿をお客様のネームを織り込んで準備させていただきたいと考えています。
その戦国時代の姫君が着用していた小袖模様がこちらの画像に映し出されています。
左から「お江」、「お市」、「淀」、「お初」も模様となるものです。
【ご自身のお名前が「ひらがな」で入るという企画】

これらの半衿の向って左下に瓢箪の形をした無地場に貴女の名前をひらがなで入れさせていただきます。
画像には明記した右横に「ともこ」というひらがな文字が見て取れるかと思いますが、このような感じで期間中にご来店をいただいたお客様に破格値でご注文を取らせていただきたいと考えているところです。
普通にこちらの半衿を手にされたとしたら2万円を越える品で、期間中の限定品として税込み価格5千円までで受付たいと考えていますが、ここは娘たちとも相談をし決めたいと考えています。
他にも永治屋さんの生地を使って、帯留め作りのワークショップも考えてまして、こちらの話題は日を改めて記事にしさせていただくつもりでいます。
最後に書き忘れたことを書き足すこととしたので、もうしばらくお付き合いください。
それは、永治屋さんの着物や帯、そしてお楽しみ企画として取り上げるシルク半衿や帯留めの生地として使う素材の全てがエルメスのスカーフにの使われている絹糸と同じで、最高級品とされている「6A」ランクの生糸から糸にしたもをを使って着物や帯が作られています。
そのクオリティの高を記事にさせていただきたいと考えているので、このブログを見逃さないようにしていただけたら嬉しく思います。
それでは、今日はこれにて・・・
お休みなさい。