降り注ぐ太陽は暖かく、どこまでも続く空は青く、そして風までも影を潜めた我が町でした。
こんな日は穏やかに過ごせるだけに自然と気も緩みます。
店は23日からの催事に向けて会場準備に入ったのですが、午前中に二人の孫が店に来ていましてね~
陽気もいいことだし、「心の日向ごっこ」って感じで孫を外に連れ出すと、元気さの度合いが違います。
太陽と戯れるかのようにハシャギ出し、その姿を見ていると何が楽しいのかと思うものがあります。
彼女たちは2か月違いのいとこで、寄り添ってみたり離れたりして予測不能な我が道を行く二人の興味の視線がとても面白い。
道路に座って柔らかな土を掘ったり、枯葉を拾って引き裂いて喜びを表現したり、地下道の側面の壁を叩いて笑い始めたり。
時には、来た道を再びよたよたと戻る孫と、前に見えるものを追いかける孫との間に自分がいて、つい大きな声が出てしまいますが、充分楽しませてもらいました。
そのような姿を見ていて、二人はどんな人間に育つのかと思わずにはいられません。
成長の過程で、こんなはずではなかったと親を悩ますような出来事に遭遇することがあるでしょうが、社会人の先輩とし、人に愛される人になれたら未来はハッピーになることを伝えてやれたらと思って見ていました。
気の早い話ですが、静かに彼女たちの生き方を見守ってやりたいと思っています。
このようにして家族に触れていると、背伸びをして仕事をしていることに気づかされます。
背伸びをしないと生きていけない社会を身をもって経験しているからでしょうが、何をしても人との比較から自分の居場所を見てしまうところがあって、自由な心を縛り付けているようにも思えます。
社会は自分を映し出す鏡で、社会の仕組みに吸い込まれるようにして生きているとしたらもったいない話です。
そして、そこに幸せを結びつけようとするから無理があるのでしょう。
型にはめられて長年生きてきたこともあって、なかなか自分を変えられませんが、その脇に家族がいて、なにげない笑顔に触れるとシンプルに幸せを感じ取れるものがあります。
秋晴れの天気に心があぶり出されるものがあったのかもしれませんが、社会の仕組みを知らない孫の行動を見ていて、自由な心でいられることを羨む私でした。
効率の上がらない一日でしたが、幸せを感じ取れる一日でもありました。
それではこれにて・・・
お休みなさい。